pragme――実利的な愛――


 欲しい物があった。
 それを手に入れるのが困難で、だからこそ手に入れるためならどんな犠牲も問わなかった。心も身体も自分自身の全てを偽り、嘘を吐いた。

「自分が、何のために生きてるのか考えたことある?」
 窓の外に広がる街の光を眺めながら、女は誰に聞かせるわけでもなく呟いた。
「もちろん、夢を叶えるためだよ」
「夢?」
「そう、君と一緒に見る夢」
 そんな独り言のような女の問いに律儀に答えた男は、腰掛けていたベッドから立ち上がりながら女の背後に立ち、どこか心許ない女の細い肩を抱いた。
「嘘吐き」
 揶揄するような物言い。口元には薄っすらと笑みが浮かんでいる。
 見透かされたような瞳を受けた男は苦笑しながら腕に力を込める。僅かに震える腕の中の肩に男は小さく溜息を吐く。それを聞いた女が、更に肩を震わせた。
「何が可笑しいの、」
 呆れたような声色に、女が首を回して顔だけ男の方へ向ける。
「何もかも」
 それこそ、何もかも見透かしたような強い瞳に見つめられて、男は耐えられずに視線を逸らした。だがそれは女の腕によって阻まれ、身体ごと男を向いた女によって強引に口付けられた。
 触れるだけのものから徐々に深いものへと。部屋いっぱいに粘着質な音を響かせながら、男の腕は肩から腰へと移動し、口の端から流れる唾液すら逃がさないというように吸い取られ、全てを奪うような口付けに女の身体からは力が失われていく。
「愛してるよ」
 呼吸の合間に吐息のように耳元で囁かれ、女は擽ったそうに身を捩る。
「うそ、つき」
 整わない呼吸。頬を上気させながらも瞳の強さはそのまま本日二度目となる科白を女が吐いた。
(……敵わないなぁ)
 男は一人心の中で呟き、口付けを止めてただ女を強く抱き締める。
「お互い様でしょ」
 だって、俺たち共犯者なんだから、と続けられた言葉に、一瞬だけ女の顔が泣きそうに歪んだ後に「そうだね」と呟かれ、男の胸が僅かに痛んだ。
 男の腕から逃げ出した女が、先ほどまで男が腰掛けていたベッドに倒れるように仰向けに寝転ぶ。天井に煌く灯りに、何かを求めるかのように腕を伸ばした。ゆっくりと近付いて来た男がその腕を取ろうとした瞬間、それは逃げるかのように下ろされた。
「触らないで」
 はっきりとした拒否の言葉に男が途惑う。 
「あなたが欲しかったのは、私の夫という立場で私自身じゃない。そんな人には触らせない」
 更に途惑う男。もう何を言っていいのか分からない状態に陥っていた。
 確かに、男が女に近付いたのは女の言うとおり”夫”という立場が欲しかったからだ。そこに彼女への愛があるのかと問われれば、答えは”否”だ。酷いと男だと罵られようが平気だった。それに、彼女もそのことは知っている。彼女は父親に反発したいと言った。だからこそ、”共犯者”で”嘘吐き”なのだ。
 男が何も言えずに呆然としていると、女はそちらに顔を向けてクスクスと自嘲に似た笑みを漏らす。
「……冗談だよ」
 うつ伏せになって、シーツに顔を埋めながらのくぐもった声。顔が見えずに、男はそっとその肩に腕を伸ばした。今度は触れても払われることはなかったが、女が顔を上げることもなかった。
「俺に、どうしてほしいの?」
「離婚」
 あからさまに男の肩が跳ねる。それを気配だけで察して、女がようやく顔を上げた。
「て言ったらどうする?」
 先程までの哀しみを孕んだ表情はもうどこにもなく、そこには挑発の表情だけが浮かべられていた。
 強い瞳、やや吊り上げられた唇。まるで男を誘っているかのようで、無意識のうちに男の喉がゴクリと鳴った。僅かに汗が滲み出る。
「……離婚、したいの?」
 ギュッと強く拳を握る。全ての力は女が持っている。ここでどれだけ男が拒否しようとも、彼女の一言で何もかも失ってしまうのだ。
 声もなく佇む男に、女は未だ強い視線を向けている。
「冗談よ、」
 ふわりと、音がしそうな笑顔で彼女が続けた。ゆっくりと上体を起こして男に手を伸ばす。その腕を引っ張って男の首に腕を回し耳元で囁いた。
「放さないから……」
 男にその表情を見ることは叶わなかったが、何となく泣いている気がして女の腰に腕を回した。
 胸に広がる罪悪感から目を逸らす。今まで何も感じていなかったものが、願いの叶った今日という日にひょっこりと顔を出した。
 彼女の――正確には彼女の父の――持つ地位と力が欲しかった。そのために彼女を利用した。しかし、結婚の間には確かな利害関係が結ばれていたはずなのに、今では男一人が女を利用したかのように感じる。
「俺も、放さないよ」
 囁いた言葉、それを証明するかのように腕に更に力を込めた。
「嘘吐き」
 本日三回目の言葉。
「嘘じゃない」
 三回目にして、初めて男が否定の言葉を口にした。しかし、女は首を横に振り「嘘吐き」ともう一度呟いた。男が何度否定しても女は首を横に振るばかりで男の言い分を聞き入れようとはしない。
 それでも、『信じて』の言葉だけは男は紡ぐことができなかった。
「だったら、……」
 女の言葉に頷くと、男はそのまま女をベッドに横たえた。それに覆い被さって再度深い口付けを交わす。ただ、少しだけ温もりを感じられた。
 生理的なものとは別の涙が女の頬を伝う。それを男が唇で吸い取ると、暫し二人で見つめ合った後に、女が静かに瞳を閉じた。
「いくらでも上げるよ」
 耳元で囁いて身体中に愛撫を落とす。

『だったら、……証をちょうだい』

 囁かれた瞬間、男の中に芽生えたのが恋や愛といった感情なのかは分からないが、それでも女に証を上げたいと思ったのは事実で、それだけが男の原動力だった。
 愛の言葉の一切無い情事。それでも、二人の関係は確かに何かが変わった。
 今はお互いの目的を果たすだけの関係、その契約が成立しただけの結婚記念日。それがこれからどう動くのか、それとも何も変わらないのかは、これから今はまだ分からない。

 

 

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