空の付く10のお題

 

01.空空しい

「昨日、一緒に歩いてたのダレ?」
 少女が少年に問いかける。
 真っ直ぐ向けられる瞳に、少年は視線を泳がせながら言葉に詰まる。その行動が全てを語っていて、少女はこれ見よがしに溜息を吐いた。
「今回で、何回目よ」
 今度は問いかけではなく、口調は厳しさを増す。
 少年は一度も少女と視線を合わせようとしない。季節は既に肌寒さを連れて来ているというのに、少年の額には汗が滲んでいる。握り締めている拳も同じように湿っているのだろう。
 だが、意を決したように少女を見つめて口を開く。
「姉」
 プチッ
 そんな音が聞こえた気がした。
 そして、パンッ。
 少年が僅かに身体を揺らすのに連動したかのように空気が震えた。
「バッカじゃないの」
 冷たい声、瞳。少年は頬を押さえながら俯いた。
 少女の瞳には薄く水の膜が張っているのには少年も気付いている。が、どう行動を起こせばいいのかが分からないのだ。
 頬を押さえる手を少女の方へと伸ばすが、少女が一歩後ろに下がった。
「触らないで」
 言葉と共に涙が零れた。
「もう、イヤだよ。今回で十回目だよ」
 何が、とは言わない。少年も問わない。ただ、お互いが握る掌に力を込めた。
「空空しい言い訳も聞きたくないし、誰かと腕組んだり……キスしてるとこなんて見たくない」
「…っ、……」
 開いた口から、言葉は出なかった。
 少女も、痛い胸を押さえながら、言葉を紡ぐ。もう、耐えられなかった。
 約束はドタキャンされ、他の女と歩いている姿を見かけ、友人からも目撃情報が何件も寄せられ、その度に泣きたくなるのを抑えて笑っていた。
(空空しい……)
 それは、少女自身に向けられた言葉。
 言い訳される度に、「分かった」って分かった振りして笑って、それは空空しいを通り越して滑稽だっただろう。それでも、一緒に居たかったんだ。
「バイバイ」
 涙を乱暴に袖で拭いて、笑顔で告げた。


@自分に都合が悪いので、知らんぷりをしている態度が見えすいている様子。
A言葉がうそである(心がこもっていない)ことが見えすいている様子。

 

02.空頼み

「私が一番でありたい」
 何度も空を見上げて呟いた。時には祈りを込めて。それは本当に空頼みだったのだけど。
 叶うことのなかった願い。
(でも、)
 少女は歩きながら空を見上げる。
「神頼みはしたくなかったんだもん」
 だれに告げるわけでもなく、一人呟く。
 別れを告げてきたばかりの彼は、今何を思ってるのかは分からない。もしかしたら、別れられて喜んでるのかもしれない。そう思うと、一度は沈静した痛みが、再び胸を襲う。
「バッカじゃないの」
 先程投げつけた言葉を今度は自分に向ける。
 未だに彼が追いかけて来てくれるのを期待している自分に、徐々に嫌悪感すら湧いてくる。
(好きなんだもん)
 紛れもない本音。二度と伝えることはないけど。
「追いかけて来てよ」
 空に呟く。
 神なんてあてにしない。あてにならない空をあてにする。矛盾した自分に苦笑すら覚えて、枯れたはずの涙が再発。
 泣きながら歩く少女に、すれ違う人々が興味深そうに視線を送る。俯くのが癪で、真っ直ぐに前を見据えて歩き続ける。
 そのとき、急に掴まれた腕に、少女の肩が大きく跳ねた。
 そして、覚えのある温もりに背中から包まれた。
「……嫌いにならないで」
 あてにならない空が、初めて少女の願いを叶えた日、空に向かって呟かれた言葉は、少年のものか少女のものか。ただ、その切なさだけは確実に空(くう)へと溶けた。
 でも、少女の願いは、本当はずっと叶い続けていたのかもしれない。


あてにならない頼み。

 

03.空解け

 僕たちの絡まった糸は、帯なんかみたいに自然に解けてしまっては困るんだ。

「君が好きなんだ」
 紛れもない本心。信じてもらえないかもしれないけど、彼女に囁いた言葉に、一切の嘘偽りは無いんだ。
 信じてほしい、とはもう言えないけど。
「信じないよ」
「うん、」
 分かってる、僕は最低だ。愛するものが居ながら、彼女以外に何人もの人とこの手にした。掌も、唇も、身体も重ねた。でも、
「好きだって、愛してるって言ったのは君にだけだよ」
「信じないよ」
 声が僅かに掠れていて、小刻みに揺れる肩に、言葉に表せないほどの愛おしさが募る。背後から抱き締めているため表情は見えないけれど、きっと歯を喰いしばって堪えてるんだと思う。
「好きだよ」
「信じない」
「愛してるんだ」
「信じない」
「信じて」
「何を……何を信じればいいの、」
(何を、誰に……?)
 彼女の言葉に、思考がまとまらない。
 僕は、何を伝えたいんだろう、誰に伝えたいんだろう。何が、誰が一番大切なんだろう。何をしているんだろう。
(ああ、)
 心の中で雲が晴れた。青空が見えた。
「そうだね、君は一番に君の気持ちを信じるべきだ」
 僕が、僕の心だけを信じてきたように。君を好きなんだって、ひたすらに信じていたように。
「私は、貴方を信じたい。でも、貴方は私を信じてくれなかったでしょう」
「そうだね、」
「……否定、しないんだね」
「できないから」
 僕は馬鹿だから。こんなにも僕を理解してくれてる女(ひと)を信じず、信じきれずに傷つけて、哀しませて、信じてくれていたのに。

 心の中で絡まっていた糸が、綻びを見せた。少しだけ解けた。
 僕は怖かった。僕たちを繋ぐ糸が絡まってしまったのに気付いた。でも、それが解けたら繋ぐものが無くなってしまう気がした。
 それは違うんだ。
 解けたらキレイな一本の糸で、絡まった糸は本当はとても切れやすいんだ。
 でも、それは自然に解けるのを待ってたらきっと離れてしまうから、きちんと二人で解いていこう。空解けなんて待たずに。

「話をしよう」
 繋がりを信じて、絡まった糸を解こう。


帯・ひもなどが、自然にゆるんで解けること。

 

04.空惚ける

 いつから、なんて覚えてない。気付くのが怖かったのかもしれない。
「いつから?」
 主語を抜かして問いかけられた言葉は、運ばれてきたグレープフルーツジュースを飲みながら無視した。
「……怒ってるの?」
「当たり前、でしょう」
 実際には怒っているのとは少し違ったけれど、でも、怒りもあるのも確かなのでこれは即答で返した。歪む表情に、すこしスッキリした気分になる。
 何を話していいのか分からない。
 『信じてくれなかったでしょう』と言った言葉は肯定された。それが、とても痛かった。今まで、怖くて聞けなかった言葉の返答は、あまりにも胸に痛かった。
「ねえ、いつから知ってたの?」
 真っ直ぐに見据えられて、今度は無視することはできなかった。
「たぶん、最初っから」
 初めて見たのは、予定を急遽キャンセルした日に男が見知らぬ女と腕を組んで歩いている所だった。そのときは、自分の中で色んな言い訳をして自分を納得させた。
 その次は、いかにも年上という感じの女の車の中でキスしてた。その後、車は走り出してどこに行ったかは分からなかった。
 その後も何度も違う女といる所を目撃した。
 今思うと、わざとだったんじゃないかと思う。でなければこんなにも頻繁に目撃はしなかっただろう。全て、私の行動範囲内での出来事だった。
 友人にも何度も言われた。それでも、ずっと知らない振りをしてきた。
「なんで今まで何も言わなかったの?」
 責めるような声色に、まるで私の方が悪いことをしたかのように感じてしまう。
 言葉一つ一つが重く感じて、せっかく追いかけてきてくれたのに今すぐ逃げ出したくなってきた。いや、心は既に逃げ出している。
「じゃあ訊くけど、何で……浮気したの、」
 信じれないのならはっきり別れてほしかった。
 浮気されても気づかない振りして、自分を納得させて、嫌われないように精一杯頑張るほど好きだったけれど、それでも、一言「要らない」と言ってくれれば、絶望の中に堕ちてからも浮上ができた気がする。
「君を、愛してるからだよ」
 バシャッ
 今度は彼の顔に向けて、飲みかけのグレープフルーツジュースをぶちまけた。
 目に沁みるかな? と思ったけど、それ以上に心に沁みてほしくて、そして、放心状態の彼を他所に、そのまま逃げ出した。
 テーブルに、もう古い物となってしまった夏目漱石を一枚無造作に放り出して、彼が目を開けれるようになる前に駆け出した。
 周りの人は好奇の目なんかを向けてきたけれど、それは全て取り残される男に任せて、とにかく走った。

 もう、追いかけてはくれないかもしれないけれど、空惚けるのは疲れてしまったんだ。


わざと知らないふりをする。

 

05.空泣き

 子供みたいに今ここで泣き叫べば、君は遠ざかる足と想いを止めてくれるだろうか?

 冷たさと、柑橘系独特の痛さに、ようやく目を開けたときには彼女の姿は跡形もなく消えていて、無造作に置かれたお金と、空のコップ、そして残り香だけが彼女の居た形跡だった。
 周囲の目は痛かったが、それ以上に彼女が居ない空気が痛くて、そのお札を乱雑に掴んで店を後にした。
 だが、勢いよく飛び出したものの、やはり彼女の背中すら見つけることができなかった。
 今すぐここで彼女の名前を泣きながら叫びたい。
「恥ずかしいじゃない」と、頬を染めながら叱責してくれるのを渇望する。
 でも、ここで泣いたところで彼女に届かないことは分かっている。それに、不思議なことに哀しいのに涙が出そうにない。
 自分の言葉が悪かったがために、再度彼女を傷つけただけでなく、何事にも正面からぶつかっていく彼女に”逃げる”という選択をさせてしまった。
「―――っ」
 叫びたいのに言葉は出ない。
 泣きたいのに涙が出ない。
 抱き締めたいのに……彼女が居ない。

 今ここで、空泣きすれば君が帰ってくるのなら、俺は全てを捨てれるのに。
 それでも、そんなことないのはよく分かってるから、自分の足で見つけるしかないんだ。
 どこに居るか分からない。広い世界の中、こんなちっぽけな範囲でも君を見つけれない自分がもどかしい。それでも、見つけるから。
 今度は間違わないから、お願いだから泣いてほしい。
 泣くことを我慢してしまう君だから。
 それこそ、空泣きでもいいから泣いてほしい。そう思う俺は、本当に酷い人間だ。


〔子供などが〕おとななどの関心を引くために(ふざけて)泣くまねをすること。

 

06.空涙

「俺の前でだけでも、遠慮しないで泣いてよ」
 その言葉を聞いたとき、なぜかこの男の前でだけは泣かないようにしようと心に決めた。

 逃げ出したのはいいが行く当てもなく、気付けば自宅前。自宅といってもアパートなのだが。
 ちょっとだけ考えて、何だか疲れていたし帰ることにした。
 部屋に入ってベッドに直行する。何も考えていたくなかったし、眠ってすっきりしたかった。寝てる間に記憶は整理されるのだと何かの番組で見たことを思い出しながら、このまま男の記憶を捨ててしまえれば楽なのに、と思う。
 そんなことを考えていればあっという間に睡魔に攫われていった。

 ピンポーン......ピンポーン
 落ちた意識の底で鳴り響く音。
(うるさい……)
 半ば夢の中で悪態を吐きながら、身じろぐ。
 暫くして音は止み、代わりに鍵の開く音と扉を閉める音がしたのには全く気付かなかった。気付いたとしても起きることはなかったと思うが。
 が、ふと頬に触れた懐かしさすら感じる温もりに、ゆっくりと意識が覚醒した。
 最初に視界に入ったのは、見覚えのありすぎる顔。先ほど自分が濡らした髪が僅かに水気を含んで色濃くなっている。自分の置かれた立場を理解するのに僅かのタイムログ。
「何で……」
 ここに居るのか、なんて分かりきっている。男に合鍵を渡したのは他ならぬ自分なのだ。
「ごめん」
 温かい指先が頬をなぞる。そこでハッとした。慌てて身を起こして男が触れていた場所を触れば、案の定涙が伝っている。
(決めてたのに……)
 この男の前でだけは泣かないと。それに、
(何も悲しくなんかないのに)
 怒りはしても悲しくはない。ずっと自分にそう言い聞かせてきたのに。
「別に、悲しくて泣いてるわけじゃないんだから」
「夢見が悪かったんだから」と誤魔化しながら男から顔を背けた。
(これは、空涙だ)
 ただ、今ではずいぶん遠く感じてしまうくらい付き合いだした頃、男が言ったから最後に一度だけでも泣いてあげてるんだと、自分でも滅茶苦茶だと思うことを考えながら、袖口で乱暴に瞳を擦った。


悲しくもないのに、涙を流して見せること。また、その涙。

 

07.空音

「夢見が悪かったんだから」
 そう涙の跡をしっかりと頬に残しながらも気丈に振舞う彼女に、再度泣きたい気持ちになってしまう。嘘でもいいから泣いてほしい、そう思ったのは間違いなく自分なのに。生まれる矛盾。しかしそこには変わらず愛しさが存在している。
「ごめん……」
 言いながら伸ばした腕から彼女が僅かに身を引いた。胸に走る痛み。それでも、彼女はこれの何倍もの痛みを受けたのだと思うと、更に痛みが増した。
「ねえ、もう終わりにしようよ」
 その言葉を聞いた時、痛みはピークに達した。心臓がドキドキと逸り、額にも掌にも背中にも冷たい汗が溢れ出す。
(イヤだ……)
 虫がいい話だけど、彼女を手放したくない。彼女が他の男のものになってしまうのなんて想像もしたくない。
 それなのに、口から発せられたのは自分でも信じられない言葉だった。
「いいよ、そうしよう」
 そのときの彼女の表情はわすれることができないと思う。悲しそうに表情を歪めた後、悔しそうに唇を噛んで止まった涙が頬を伝った。それがとても綺麗だった。
 自分自身、何で『いいよ』なんて言ったのか分からない。それでも、僅かに残っていた僅かな糸を自分で断ち切ってしまったのだけは理解できた。
「……バイバイだね」
 どこまでも気丈に振舞う彼女。
 今時分の中に溢れる気持ちを、愛しさ以外の何と表現すればいいのかを知らない。気が付けば彼女を自分の腕の中に閉じ込めていた。
「――放してっ……」
 暴れる彼女を押さえつけるように腕に力を込めた。徐々に抵抗が弱まるのに反比例して罪悪感と愛しさだけが増していく。
「終わるんでしょう、」
 弱々しい小さな声。それは間違いなく彼女の口から発せられた。
「終わるよ」
 ピクリと震える肩。もう自分の中から”愛しい”という想いが無くなってしまった気分だ。
「だから、もう一度俺と改めて付き合って下さい」
 ゆっくりと腕の中から上げた彼女の顔には、信じられないという字が見える気がした。
「もう浮気なんてしないから、だから……もう一度俺にチャンスを下さい」
 これは本音だから。空音では決してないから。
 気持ちが少しでも多く彼女に伝わってくれるように、再度抱きしめる腕に力を込めた。


@実際はだれも鳴らさないのに、聞こえてくる楽器の おと。
Aニワトリが鳴く時間でもないのに、時を作る声を人がして見せること。
B「うそ」の意の老人語。偽り。

 

08.空目

 閉じた瞳の裏で幸せそうに微笑む自分が見えた。
 広い胸に抱き込まれて、背中に腕を回したいのにそれができないのは、心が臆病になっているから。もう、二度と彼の横で微笑む女を見たくない。そんな風に考えてると、今度は微笑んでいた自分が別の女に変わった。
 その瞬間、無意識の内に腕が男との間に距離を作った。
「……ごめん」
 どういう意味での言葉なのかは自分でも分からなかった。ただ、傷ついた顔をした男に、思わず条件反射的に口が動いた。
「嫌だよ」
 言葉と共にまた、距離がゼロになる。
 温かい腕。ずっとずっと欲しくて、放したくなかった腕なのに、頭は既に彼との別離を決めていた。なのに、心が納得しないのか、身動きが取れなかった。
「お願いだから……捨てないで」
 か細い、空気に紛れそうなほど小さな声で放たれた言葉は、物凄く胸に響いた。
(ああ、同じだ)
 捨てられるのが怖くて何も言い出せなかった頃の自分が男に被った。
 いつの間にか逆転している立場に、何だか可笑しくてそっと男の顔を見上げた。久々に近距離で見つめた顔に、言いようのない愛しさが込み上げてきた。
(捨てられない)
 別離なんて考えたこと自体が馬鹿らしくて、変な意地を張るのも心を偽るのも止めて、思うままに男の背中に腕を回した。
 体中で感じる懐かしい温もり。どんなにしても手放せないことを改めて実感させられて、
「悔しい」
 呟いた声に、男が「ありがとう」と耳元で囁いた。
「馬鹿、」
「うん」
「もう、二度と見たくないから」
「うん」
 何が、とは敢えて言わなかった。口にしたくなかったというのも本音だ。
 己の中に渦巻く嫉妬から目を背けて、足踏みしていた自分は今は遠く離れて行ったけど、決して無くなったわけじゃなく、今も心の奥底で燻っている。だから、
「放さないで」
 どちらともなく出た言葉に、目を見合わせて微笑んだ。


@本当は見えないのに、見えたような気がすること。
Aうわめをつかうこと。
B見ないふりをすること。

 

09.空夢

 背中に回された腕に、歓喜以外の感情が全て吹き飛んだ。
 これは夢なんじゃないかと、彼女の口から「悔しい」の言葉を聞くまで信じられなかった。彼女が別離を覚悟していたのは、終わりを肯定したことから分かっていた。
「結婚しよう」
 唐突な言葉に、彼女が瞠目するのも当たり前だろう。でも、俺の心にはそれ以外なかった。
「きちんと、証明が欲しいんだ」
 身勝手だと分かっている。そんな物なくても繋がってなきゃいけないのに、その繋がりをおかしくしてしまったのは紛れもない自分で、でもだからこそきちんと新しい繋がりが欲しかった。
「いや?」
 ドキドキが服越しに彼女に伝わってるんじゃないかと思った。少なくとも、少しだけ速まった彼女の心音は確かに俺に届いていた。
「もっと大きなマンションに引っ越して一緒に暮らして、家事はきちんと分担しよう」
 目の前に広がる未来図。そこには温かい家庭があって彼女が微笑んで、それだけで涙が出そうになってしまう。
 どうせならもっと早くそうすれば良かったんだと思う。
「動物飼いたいなら飼えるマンション探すし、俺、一生懸命働くからさ、いつかは庭付き一戸建てだって買えるかもしれない」
「……夢だね、」
「夢だよ。空想だよ。でも、実現できるよ」
 君の返事次第なんだ、と瞳を見つめる。途惑っているのは分かる。それでも、即答で断られなかっただけでも救いだ。
「直ぐには返事できないけど、」
 しばらく逡巡した後、何かを決意したような強い意思の篭った瞳で今度は彼女の方がが俺の瞳を捕らえる。
「浮気したら即離婚ね、」
 頭の回路が上手く繋がらなくて、認識に時間のかかっている俺を余所目に、彼女が可笑しそうにクスクスと笑っていた。
 目の前に広がる空想の家族が、現実の理想になるのはそう遠くは無い未来だと思った。


@見もしないのに、本当に見たかのようにこしらえて他人に語る夢。
A現実世界の吉凶などにはかかわりのない夢の世界だけの夢。
B空想。

 

10.空笑い

 大喧嘩の日――つまりはプロポーズの日――から数ヶ月が過ぎたが、二人の関係は相変わらず恋人のままだった。
 ただ、女はアパートを引き払い男の所へと移り一緒に暮らし始めた。
「昨日、帰り遅かったけど何してたの?」
 僅かに怒気を滲ませた女の声に、情けないことに男の腰がやや引き気味だ。
「……付き合いで」
「それでキャバクラ?」
「いや、」
 しどろもどろな返答に女の米神に徐々に青筋が立っていく。それ反比例するように男は段々小さくなっていく。
「ごめんなさい」
 降参しました、と両手を挙げれば、「人間素直が一番だよ」とキレイな作り笑いで返される。しかし男には女が完全に自分を許していないことは分かっていた。
(……今度はバッグくらいじゃ駄目かも)
 男は心の中で謝罪の品を考えながら、随分と逞しくなった恋人へと視線をずらす。そこには、背中から怒りのオーラを出しながら黙々と洗い物をする女の姿があって、これ以上ないくらいの幸せを噛み締めた。
「ねえ、」
「なに」
 やはり言葉には怒りが込められている。
「結婚式は白無垢とドレスどっちがいい?」
「……どっちも嫌」
 冷たい返答に男は僅かに凹む。今にもしゃがみ込んでのの字でも書きそうな雰囲気の男に、女は一つ溜息を吐くと、エプロンで手を拭きながら男の傍へとしゃがみ込んだ。
「結婚したいなら、一年間キャバクラはパブに行くな」
 これまたキレイな笑顔で追い討ちをかけるように宣告した女に、男は引き攣った笑みを浮かべることしかできなかった。
「精進します」
 ようやく出た言葉に、女は満足げに頷いてまた洗い物に戻った。
 それは平穏な日常。それがこれからも続くように二人はそっとお互いの胸で祈っていた。

 空が在るから見上げるように、貴方が居たから恋をした。


おかしくもないのに、作り笑いをすること。

 

お題

 

 

 

 

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