毒を孕んだ林檎の夢

 

『会いたい』
 一日寝て過ごそうと思っていた休日。突然の、大切な彼女からの電話に、オレは家を飛び出した。

 河川敷に座り、汚く濁った川の流れを見つめる彼女。その手には怖くなるほどの紅い林檎。
 オレはそっと近寄って、彼女の隣に立つ。
「急にゴメンね」
 オレを見上げて顔の前で両手を合わせ謝る彼女に、オレは微笑みかけた。
 思えば会うのは一週間ぶりだ。 何かと忙しかった先週。会いたいと言う想いは募ったが会いに行ける暇なんて微塵も無かった。
 今日はいきなりの休みでしかも平日。彼女は仕事だろうと思い結局連絡しなかった。
「今日、オレが休みって知ってたの?」
「ううん……ただ何となく家に居るような気がした」
 そうだ。彼女がかけて来たのは携帯ではなく自宅の電話。女の勘は鋭いとは言ったものだが、ここまでとは、と見当違いの感心をする。
「何かあった?」
 何処となく彼女が儚げに見えて俺は思わず問いかける。
 第一、彼女の方から会いたいなんて言い出すことは今まで無かったのだ。だからこそ、余計に心配になる。
「この林檎、美味しそうでしょう」
 そう言って彼女は手に持っていた真っ赤な林檎にかぶりつく。唇から林檎の汁が流れ落ち、その姿は妖艶と言う言葉が似合うほど、官能的だった。
 甘酸っぱい林檎の匂いが鼻につく。
 結局オレの問いの答えは返ってこない。
 それでも、何となくそれを頭の何処かで分かっていた自分が居た。
「コレが、白雪姫の毒林檎だったら良かったのに……」
 呟くように言われた言葉にオレは目を丸くした。
 言われた言葉を理解するのに、ほんの少し思考が止まる。
 ”シラユキヒメノドクリンゴダッタラヨカッタノ二”
 また一口、林檎をかじろうとした彼女の腕をオレは掴んだ。いきなりのことに、あ、と彼女が小さく声を上げるのと同時に、コロコロと転がった林檎。
 ボチャン、川に林檎が落ちて、中途半端に沈んで流れて行く。
「死にたいの?」
 唇を噛み締めて、拳を震わせ、怒気を孕んで搾り出すように呟いた言葉。
 その言葉に彼女は首を左右に振る。
「だったらっ―――!」
 何故?
 そう言おうとしたオレの言葉を遮り、彼女は言う。
「消えたいの」
 絶望の淵に追い遣られたような気がした。
 死にたいよりも残酷な言葉だと、オレはそう思った。
「それは、此の世から?」
「違う、貴方の前から」
 淡々と、真っ直ぐオレの瞳を見つめて、本気だと言うことを誇示するように言葉を紡ぐ彼女。
 今すぐ消え去りたいと、オレの方がそう思わずには居られなかった。
(オレは一体何をした?)
「だったら……」
「え?」
「君が消えるくらいなら、オレが消える」
 紛れも無い本心。
 きっと目の前に居る彼女が消えてしまったらオレは生きていけない。そう本気で思った。
「前言撤回」
 彼女の口から出た言葉に、オレは少なからず安堵した。
 が、それも束の間。次に出てきた言葉により、更に深い深い闇へとオレは攫われて行った。
「貴方の中から消えたい」
 苦しかった。息が止まるかと思った……いや、止まってくれて良かった。
 彼女の言葉もだけど、その言葉を紡ぐ彼女の泣きそうな微笑がとてつもなく痛く感じて・・・、窒息しそうなほど苦しかった。
「そんなにオレがイヤ?嫌いになった?」
「違う、そうじゃない」
 そうじゃない、と必死で訴える彼女。オレも彼女も止め止めなく涙を流している。オレは何も出来なくて、ただ無言で彼女を胸に抱き込んだ。
「さっき言ったよね?林檎が白雪姫の毒林檎だったら良かったのにって……」
 彼女は何を言いたいのだろう?
 そっと覗き込んだ彼女の顔は病人のように真っ青だった。触れている肌から徐々に温もりが消えているように感じる。
 サーっと血の気が引くのが分かった。
「食べて直に死ねるような生易しい毒じゃない……コレは罰」
「何を言ってるんだ?」
「ゴメンナサイ。いつもいつも迷惑かけて、邪魔ばっかりして」
「だから、何を言ってるんだ!?」
 オレは一度も彼女を迷惑だとも邪魔だとも思ったことは無い。
「それは寧ろオレの方だろう? いつもいつも君に迷惑かけて、会いたいっていつも我侭言ってる」
「違う、そんな事無いっ! 嬉しかった、会いたいって言ってもらうと嬉しかった……」
「だったらっ」
 言い争う間にも彼女の体温はどんどん奪われていく。
 見えない黒い影が彼女を連れて行こうとしている。
「私はズルイ。いつも言わせるだけで言ってない。貴方はいつも私を優先する。自分よりも私を……だから駄目なの。いつか私は貴方を壊す」
 オレの胸を押し返しながらそう言う彼女は、とても綺麗で、とても遠くに感じた。
「君になら、君になら壊されても良いのに……」
 これは本心だ。寧ろ、君以外には壊されたくない。君だからだから、いっそのこと壊して欲しい。
 なのに、その想いが伝わらない。伝える術をオレは持っていない。
「バイバイ」
 そう言って前のめりに倒れてきた彼女を、オレは受けとめた。
 蒼白な顔、体温の無い身体、口端から零れ落ちる鮮血。
「イヤだ――――!」
 それが現実だと、認めることを拒絶した。

 

 バッ
「ハァハァハァ……夢?」
 Plulululu、Plulululu、Plulululu......
 ぐっしょりと汗で濡れたパジャマ。荒い呼吸にオレは肩で息をする。
 外で小鳥の囀りが聞こえる。
 オレは起き上がると、どうやら長い間鳴り続けているらしい電話を取った。
 心臓がドキドキと早鐘を打つのが分かる。あまりにもリアル過ぎた夢……本当に夢だったのかさえ定かではない。
「もしもし」
 緊張し、強張った声で電話に出る。すると、何処か予想したとおりの声。
「起こした?」
 大切な彼女の声。
 やっと先程までのが夢だったと実感できた瞬間。それなのに、動悸の速さは変わらぬまま。
「会いたい」
 その言葉にオレは軽く返事を返し、今いる場所を訊くと急いで部屋を飛び出した。

 夢で見たままの河川敷。そこに座っている彼女も夢と全く同じで、その手には真っ赤な林檎。
 ただ夢と違うのは、今正に彼女がそれを口に入れようとしていることだけ。
 オレは急いで彼女の後ろへ周ると、彼女の腕を掴みその林檎をそのまま自分の口へと運んだ。そのいきなりのオレの行動に驚いて振り向く彼女。その見開いた瞳には徐々に涙が溜まって……。
 その涙が零れると同時に、彼女は林檎のオレがかじった上をかじった。
 二人で視線をあわせる。そのまま抱き締めあって芝の上に倒れ込んだ。
「愛してるから、君をオレの中から消すことなんて神様にも出来ないから……」
 だから、
「消えるなら一緒に消えよう?」
「うん、私も」
 愛してる―――――

 その昔、楽園(エデン)では禁断の果実と言われた林檎
 白雪姫の命を奪い、幸福へと導いた林檎
 その味は
 甘さの中に酸っぱさを孕み
 そして何処か苦くて、優美な味だった

 絵のような2人の男女の横に、ただ転がる林檎
 毒を孕んだ禁断の味

 

小説TOP短編

 

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送