飛び出して溶け込んで染め上げて

 

『空を飛びたいんだ』
 そう言った友人にオレは何を言えただろう

 午後の始業のチャイムを聞きながらオレは屋上への階段を上っていた。
 ギギギッと言う音を立てながら、少しばかり錆ついた思い鉄の戸を押し開ける。瞬間、目の前に広がる青い空。
 そして、張り巡らしてある自分の身長よりも幾分か高いフェンスの向こう側―そのスペースは三十センチメートルも無い―に座っている見慣れた友人の背中。
 その光景に一瞬心臓が停まるかと思った。驚いたと言うのもあるが、何よりもその背中が、その姿が空に溶け込んでしまいそうで……。
「何やってんだよ」
 オレがそう声をかけると、友人は緩慢な動作でオレの方に顔を向けた。だが、その瞳にオレは映ってはおらず、ただ青空だけが広がっていた。
 その事実に何故だかオレは泣きたくなった。
「何やってんだよ」
 再度の問いかけ。やはり友人は空を映したままで、暫くの間は静寂が流れた。
 オレはこの友人との間の静寂の空間は決して嫌いではなかった。しかし、今は何処となく居心地が悪い気がした。
 それから暫くオレは、現在空しか映さぬその瞳をフェンス越しに立ったまま見つめていた。
 すると不意にその瞳がオレを捉え、存在を確認した。
「……何やってんのお前?」
 友人の第一声にオレは脱力する。
 先程自分が二度も問いかけたのに、と思いつつも安堵の溜息を吐くと、その場に座り込んで、コッチに来いよ、と友人を自分の隣に手招きした。
 友人は「ん〜」と気の無い返事をすると、なれた手付きでフェンスに手をかけ、よじ上る。そして一番上まで来ると、トンとそこから軽やかに降り立った。
「で、結局お前は何してんの?」
 隣に座って心底不思議そうに再度問いかける友人は、こっちの心配なんて我関せずと言った笑顔で。そんな友人に、それはコッチの台詞だ、と言ってその頭を一度叩く。
 何だかとても苛々した。
「痛ぇ〜」
 そう抗議する友人を無視し、オレは友人を睨んだ。
 そんなオレの視線に、友人がほんの少し怯んだのが分かった。
「何だよ」
 そんな視線に堪えられないとでも言うかのように、バツが悪そうに友人が口を開く。
「何だよ、じゃねぇよ。お前こそ一体何やってんだよ」
「……」
 切り返した問いかけに、友人は口を閉ざす。
 そんな行動が更に苛々を増幅させ、オレは畳み掛けるように言葉を続ける。八つ当たりに近いその行動に、自分にまで苛立ちを覚える。
「サボろうと思ってドア開けた瞬間、フェンス越えた人間がいたら驚くだろう」
 しかもそれが自分の友人となれば尚更だ。
 そんなオレの気持ちに気付いたのか、友人は申し訳なさそうに俯いた。
「ゴメン、ただ……」
 そえから、友人はもう一度視線を空に戻すと
「空が見たかったんだ」
 そう言った。

 空が見たかった
 ガラス越しの空なんかじゃなくて
 窓枠で切り取られた空なんかじゃなくて
 視界いっぱいに広がる空を見たかった

 友人はそう言った。その手を真っ直ぐ天へと伸ばし、空を仰ぎながら……。
 空を腕に抱きたいと、訴えるかのように。
「だからって、何もフェンスを越えなくても良いだろう」
 オレは込み上げてくる悲しみにも似た感情を必死に抑えながら言葉を紡いでいく。
 オレはこの時自分の抱く感情をイマイチ上手く掴む事が出来なかった。
「俺は、空を飛びたいんだ」
「―――っ!!」
「でも、もしかしたら空になりたいのかもしれない……」
 友人は視線は空に留めたままに、パタリとコンクリートの上に倒れると大の字になった。
 空を友人の瞳はまるで、鳥のようだと思った。
 翼を怪我して空へ飛べない鳥
 空を飛びたくて、飛ぶことを切望する鳥
「無理だろう」
「うん」
「無理に決まってるだろ、そんなこと」
 無機質な自分の声に嫌気が差す。他に言いようがあるだろうに……否定するだけの言葉しか言えない。ただ、この友人を地上と留める言葉を捜す。
「分かってるよ、人みたいな穢れた存在が、こんなにも綺麗な蒼にはとけ込めるわけ無いってちゃんと分かってる……分かってるよ」
「違う、オレが言ってるのは……」
 そう言う意味じゃない、と、そう続けようとした言葉は嚥下した。
 この友人なら、きっと空に溶け込める。そう思ったことも心の中に閉じ込めた。
 再び広がる静寂。その静寂は、授業終了のチャイムが鳴り響くまで続いた。
 そしてチャイムの音と共に立ち上がり、俺行くから。扉へ向かう友人の背中に、オレは
「絶対に飛ばせない。オレが居る限りは絶対に飛ばせないからな」
 そう投げ掛けた。
 友人はその言葉に、右手を軽く上げると重い扉を開き去って行った。

 絶対に飛ばせない
 大切な友人だから
 失いたくないと切に願うから
「飛ばせない」
 オレはそう言うと屋上を後にした。
 取り残された青い空
 友人が誘われるほどに青かった空は
 友人が来ないことを悲しむかのように
 空を黒く暗く染め上げて
 そして涙を流した

 気付かなかった
 失念していた
 空の色は蒼だけではないことを
 真っ黒な空は、穢れた人間までも溶け込ませ
 真っ赤な空は、その色に友人を染めた

 オレに無くて空に在ったモノ
 それはきっと
 自由という名の束縛と
 未来を魅せる未知の領域

「馬鹿野郎」
 空へと化した友人に今日もその言葉を投げつけた。

 

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