永遠の在り処
見上げれば、視界いっぱいに広がる蒼。空色(スカイブルー)なんてたった一色の絵の具ではとても表すことの出来ないソレは、心を何処かへ攫って行ってしまいそうだ。
耳を澄ませば、脳に響く小鳥の囀り風と戯れる木の葉の音。瞳を閉じてしまえばたちまち睡魔に襲われる。
「遅くなってゴメン!」
バタンッと、騒音とも取れる音と共に、土下座でもしそうな勢いで飛び込み、穏やかなまどろみの空間をぶち壊した友人に呆れた視線を向けると、すっかり現実へと引き戻された根開
希(ねびら のぞみ)は溜息を吐いた。
苦笑し、項垂れれば、やや伸びた、耳に掛けていた癖の付いた茶色い髪の一房がハラリと落ちる。視界に入る茶色は希にとっては嫌悪の対象以外の何者でもなかった。
生まれつき色素の薄い希は肌の色も白磁を思わせる程白く、瞳の色もこげ茶色をしていた。その所為で昔から何かしらの因縁を付けられることも少なくはなく、二年前この高校に入学した時も早々先輩達に数回呼び出しを受けたものだ。
形の良い唇。百六十八センチメートルと、やや低めの身長。一重だがパッチリとした瞳、スラリとした鼻筋、世間一般で恰好良いと言う分類に入る希だが、纏う雰囲気がどこか冷涼さを醸し出し、周囲から敬遠された。それでも、そんなことは我関せずと言った感じで近付いて来たのが目の前の少年、新宮
裕(しんぐう ゆう)だった。
「どうしたの、希?コンクリートの床なんて見つめて楽しい?」
そんなわけあるか!と思わず突っ込みたくなったが律儀に返すのも何だか癪で、希は顔を上げるだけで止めた。
瞳に映るのはまるで鏡でも見ているかのように自分と同じ顔。違うと言えば自分が強く欲するストレートの黒髪に黒眼の持ち主であり、ノンフレームの眼鏡をかけていることくらいだ。
とは言う物の、似ているのは面立ちだけで内面は正反対と言っても良かった。
明るく朗らかな裕は皆から好かれるタイプで、笑顔を絶やさない人間だった。まるで子供のようで、その為か素直に口にする言葉にはたまに驚かされることもあった。
「で、どうしたの? わざわざ立ち入り禁止の屋上に呼び出すなんて」
「別に、何となく……訊きたいことがあったんだよ」
訊きたいこと? と首を傾げる裕に対し希は頷く。
「明日提出のプリント、お前は何て書いたんだろうって思って」
「あぁ、どんな大人になりたいか、ってやつ」
新学期、最高学年になった二人。昨年までの担任が移動になりやって来たのは新米教師。この大事な時期に大丈夫なのだろうか、と不安に思う者も少なからず居る中でその教師は飄々としていた。
そして配られたプリント。進路希望調査とは微妙に違うソレには“どんな大人になりたいか”と言う質問だけが書かれていた。
「どんな大人になりたいかって、結構難しい質問だよね〜」
「あぁ、何になりたい、とかじゃなくて、どんな風になりたいか、だからな」
だから迷ってるんだ、と希は言う。
「そんなに悩むことないと思うよ。寧ろ、大人になるって言うより、どんな人間で在りたいかって考えた方が良いと思う」
簡単にそう言ってのける裕を希は羨ましいと思った。
自分には到底そんな考えは浮かばない。裕より遥かに成績の良い希だが、国語だけは裕に敵わない大きな原因は、言葉に込められた意味や感情の奥深くまで読むことが出来ないからなのだろう。
「それで、裕は何て答えたんだ?」
「……永遠を信じられる大人になりたい」
僅かなタイムラグ。裕の返事を頭の中で反芻し、噛み締める。
永遠を信じる大人になる。それはとても難しいことに感じられるのに、ストンと希の心に落ちて来た。裕らしいと、そう感じずにはいられず、彼になら出来るだろうと確信に近い想いまで抱く。
が、希はしばらく考え込む。そもそも永遠とは何なのだろうか、と……。
そしてそのまま思いを口にする。
「永遠の定義とは何だ?」
その問いを受けた裕は一瞬目を丸くしたがすぐに破顔一笑し、懐かしいな、と小さく呟いた。
昔、自分も同じしたような質問をしたな、と。ただその時は永遠の言葉の意味が分からなくて訊いたのだけれど。
そう思い、幼き頃へと想いを這わせた。
そもそも裕が永遠を信じる大人になりたいと思った理由は、今は亡き祖母にあった。
祖父と祖母は見合い結婚で、重度の人間不信だった祖父に祖母は結婚前に言ったそうだ。
『私は、永遠に貴方の傍に居て、愛し続けます』
誓いにも似た言葉。だが祖父は当時そんな言葉を信じられなかった。だが、十年が過ぎても二十年が過ぎても、祖父が病床に就いても祖母はその言葉通り祖父の傍に在り、慈しむように愛していた。
『永遠を見た』
それが祖父の最期の言葉だった。
そして祖父が逝去した直後、祖母も後を追うように亡くなった。最期に言葉を交わしたのは裕で、今わの際で祖母は言った。
『永遠を信じられる大人になりなさい』
『エイエンって何?』
当時、八歳と幼かった裕には少し難しい言葉だった。
首を傾げる裕に祖母は微笑て(わらって)答えた。
『そうだね、永遠って言うのは終わりが無いこと、無限だと言うことだよ』
再度首を傾げる裕。
『例えば、空を永遠だと言う人も居る。永遠は死ぬまでだと言う人も居れば、死んでからもずっとだって言う人も居る。つまりは、形が無いんだよ。だから断言することは出来ない』
だから、自分が永遠だと思う事や物を永遠だと信じれば良い。百%と言うわけではないが、あの頃よりも自分の中で形を成す言葉。
静かに、心地良いテノールで紡がれる言葉に耳を傾けていた希の中で、答えは出ていた。それでも新たな問いを投げかけたのは、ただの好奇心からだ。
「裕は、何に永遠を見るんだ?」
「……宇宙かな、」
戸惑い交じりの返答。
「宇宙?」
苦笑し、頷きながら続けられる言葉。
「空がさ、無くなってしまうって言うのは想像できるけど、宇宙が無くなる所なんて全くと言って良いほど想像できない。だから、俺にとって永遠は宇宙なんだ」
可笑しいかな? と不安を滲ませた瞳。希は首を左右に振る。
「良いんじゃないか、それで」
そういって見上げた空は、高く、果てしなく続いていた。
職員室で、一人の教師が回収したプリントを見て口端を上げた。
「面白いヤツ等が居たもんだ」
手には二枚のプリント。新宮 裕と根開
希と名の記されたソレの一方には
“永遠を信じられる大人になりたい”
と書かれ、一方には
“永遠を見せることの出来る大人になりたい”そう書かれていた。
指の先に在る永遠に
貴方は触れることができますか
瞳の前に広がる永遠を
貴方は信じることができますか
姿なき永遠を
貴方は何に見ますか
貴方の永遠は一体何処に在りますか
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